イタリアで過ごす Feed

2025年4月10日 (木)
2025年3月29日 (土)

トリノ『Palazzo Caglignano』カリニャーノ宮はサヴォイア家レジデンスのひとつ、カリニャーノの王子の私邸で、リソルジメント博物館があります。
そんな素晴らしい建物で行われたバローロとバルバレスコだけのワイン試飲会。

イタリアの中でもピエモンテならではのイベントだと思います。

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ここで気になっていた生産者にかなり会うことが出来ました。

BIBENDA/FIS/WSAイタリアワインソムリエコースの講師、Edoardo氏より勧められた

『AZELIA』は香りの広がりが素晴らしく、Morbidezza(柔らかさ)とDurezza(硬さ、酸やミネラル、タンニン)のバランスがとれており、余韻が長い、何よりも感動を呼びます。

生産者Lorenzo氏が愛する畑SANROCCOが人気のようでしたが、MARGHERIAも優しく若々しいけれどとてもエレガントで気に入りました。

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『Fratelli Alessndria』はVerdunoにあり、実はペラヴェルガを頂いて知ったのですが、バローロも美味しかったです。

同様に『Castelllo di Verduno』もペラヴェルガを作っています。ここは歴史的に有名なカンティーナでバローロ・バルバレスコもあります。

バローロはヴェルドゥーノの土壌から特有の香りがありました。

土の生産者もそうでしたが、CRUによる違いがよく表現されていることに改めて感心しました。

PIRA E& FIGLI CHIARA BOSCHIS,  PIRA, BORGOGNO... 

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BRALEも小さな家族経営ですが、Barolo村にあり気に入りました。

その他、L'ASTEMIA の生産者はとてもSIMPATICO親しみ易く、一度見学に行ってみようと思います。

PODERI COLLA: こちらもEdoardo氏のお勧めでしたが、やはりSerralungaに畑があり、Serralungaといっても広いので

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PODERI COLLAは Monforte d'alba にあるBUSSIAの畑のバローロでしたが、BUSSIAは非常に広いので、更に区分けした方がよいと、生産者は話していたほど、仕上がりが異なるようです。

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RIZZIはバルバレスコ(TREISO) も女性的な優しいネビオロでした。

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東京でもこんなテイスティング会があればと思った次第です。15:00-20:00とオープンしてましたが、私は2時間で十分満足して帰りましたが、ソムリエ談義しながらゆっくり過ごすのも楽しいでしょうね。なぜか男性が非常に多かったです。

2025.3

Kyoko M

2025年3月28日 (金)

トリノで聴覚と味覚のハーモニーのイベントにお誘いを受け行ってきました。

室内楽とチョコレート Musica da camera e Cioccolato 

バロック音楽のコンチェルトとチョコレートの歴史を話す語り手が交互に演じて、豊かな時間でした。

チョコレートはパスティチェリア Pfatischが協賛で、そのジャンドゥイオットとヴェルモットを頂きました。
パラッツォ・ファッレッティ・ディ・バローロ 
Salone delle Feste di Palazzo Barolo in Via delle Orfane 7

場所はバローロの母で知られるジュリエット・コルヴェール・マルケーザ・ファッレッティ(侯爵夫人)の一つの住まいである館で、中に入ると1800年に戻ったかのような装飾や絵画などうっとりです。

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ジューリア・バローロ侯爵夫人 (1786-1864)

チョコレートは、初め飲み物として、その後 ディアボルティーニDiabolttiniという丸く固められたものが主流でした。バローロ侯爵婦人はディアボルティーノ(初期のチョコレート)の頃からチョコレートを気に入ってらして、当時グラン・トゥールと呼んだイタリア中の旅の際にも常備されたそうです。

ナポリでは気分の悪くなったご婦人に差し上げたエピソードもあります。

シチリアは当時両シチリア王国で、その王への贈り物としてチョコレートも大変喜ばれたそうです。

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1800年代初期にナポレオンが英国に反発し、植民地(アメリカ)からの商品を輸入制限した際に、カカオやキビ砂糖が高騰しました。 

そこでピエモンテ産のヘーゼルナッツを混ぜることでリーズナブルに出来上がったのがジャンドゥイオット。1865年のトリノのカーニバルで初めて、ジャンドーヤが配ったことで有名になりました。


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ジャンドゥイオットの名前はジャンドーヤが配ったことが由来です。

ジャンドーヤはBurattino(手使い人形)のキャラクターとしてトリノで有名でした。

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17-18世紀のバロック音楽 曲目:

1⃣Giovanni Benedetto Platti (1697 – 1763) TrioSonata in SOL minore WD 691

per violino, violoncello e continuo

2⃣Francesco Geminiani (1687 – 1762) Sonata n. 2 op. 5 in RE minore

per violoncello e continuo

3⃣Giovanni Benedetto Platti (1697 – 1763) TrioSonata in SIb maggiore WD 689

per violino, violoncello e continuo

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4⃣Carlo Graziani (1710? – 1787) Sonata n. 1 op. 3 in SOL maggiore

per violoncello e continuo

5⃣Antonio Vivaldi (1678 – 1741) Sonata n° 12 op. 1 in RE minore “La Follia”

per violino, violoncello e continuo

最後のヴィヴァルディの曲は、ポルトガルから伝わったもので、とても情熱的でラテンを感じさせるような新しい曲調でした。


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『Armoniosa』

アンサンブルは『アルモニオーザ』というグループ 2012年結成。世界各国で演奏し、ソニーミュージックからもCDを出しているそうです。

クラヴィチェンバロとミニパイプオルガンは チェンバロ奏者の Michele Barchi氏が修復、組み立てしたそうです。

ARMONIOSA のメンバー紹介

Francesco Cerrato, Violino

Stefano Cerrato, Violoncello piccolo a 5 corde

Marco Demaria, Violoncello grande a 5 corde

Michele Barchi, Clavicembalo

Daniele Ferretti, Organo

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2025年3月20日 (木)

トリノのカーニバルの主人公は ジャンドゥーヤGiandujaとその妻ジャコメッタGiacometta です。

Gianduja

ジャンドゥーヤの名前の由来は“Gioann dla doja” ⇒“Giovanni del boccale”、つまりグリニョリーノのワインが大好きだったことからだそうです。

カーニバルのキャラクターでは、ベルガモのアルレッキーノ、ナポリのプルチネッラがよく知られていますが、みなコメディ(16世紀に生まれたCommedia dell'Arte)のキャラクターです。

トリノでは19世紀にブラッティーノ(操り人形のひとつで中に手を入れて動かします)の製作者Giovanni Battista Sales と Gioachino Belloneによって作られたキャラクターです。

ジャンドゥーヤのイメージは紳士で良い父親、庶民の味方です。

服装は18世紀の旧体制を重んじていることを裏付けます。赤い縁の茶色のジャケット、黄色いベスト、緑の膝丈ズボンに、赤いタイツ、三角帽子を身に着けています。

実はジャンドゥーヤの制作の裏側には政治的な理由があります。元々はGiròni ( Gerolamo)の名前でしたが、トリノはナポレオン親派(filonapoleonici)で、ジョヴァンニ達製作者は反対派であったため、アスティの城へ逃げます。そこで、ジャンドーヤへ名前を変え、帽子の青色を緑に変えたそうです。

その後、多くのマリオネットやブラティーノ製作者たちの力で、有識者や庶民の人気を得てイタリア王国統一のシンボル的存在になっていった。そしてトリノのカーニバルの主役へ。

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カーニバルではそれまでは平たいキャンディ(カラメッラ)を投げ配っていましたが、その包装紙にもジャンドーヤの顔が描かれてました。

チョコレート『ジャンドゥイオット』Giandujot

1865年のカーニバルで初めてジャンドーヤはカーニバルのキャラクターとして登場します。

その時にジャンドーヤはチョコレート『ジャンドゥイオット』を投げ配りました。

このジャンドゥイオットの出来た背景も興味深いのですが、当時ドリンクだったチョコレートをプラリネ(固形チョコ)にしたのが『カッファレル』です。

またヘーゼルナッツ入りのレシピの由来は、ナポレオンが輸入制限をした時代にカカオも入ってこなくなり高騰しました。そこでトリノの菓子職人が考えだしたのが、ヘーゼルナッツ(ピエモンテの名産、今では高くなりました)を加えることでした。

余談とし、バローロ・ファッレッティ侯爵夫人(バローロの母と呼ばれている)の屋敷がトリノにありますが、当時チョコレートは高級品でしたから、貴族の間で贈答品して使用されていました。

このジャンドゥイオットをお気に召したようで、ナポリなどグランツアー(旅行)の際に持参されたそうです。


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2025.3 Kyoko M

2025年3月 9日 (日)

イタリアで一番生産量の多いカフェ、LAVAZZAはトリノ生まれ。

今回は博物館へ行ってきましたが、とても近代的で楽しい1時間ほどの見学で発見もたくさんありました!

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スクオーラ・レオナルド・ダヴィンチ・トリノ校のアクティヴィ(課外授業)で、アンドレア先生の引率もあり安心快適に参加。

ラバッツァのオフィスは建物がいくつかに分かれており、そのひとつが博物館になっています。

建物は雲のように建物が隣接しているので、NUVOLE(雲)と呼んでいるそうです。

テクノロジーを駆使した、思考を凝らした展示になっており、見て、触って、体感できる画期的なスタイルで楽しませてくれます。

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カフェのアペリティ―ボ!を試飲。カクテルではなく、Coffetail(カフェテル)!

アルコール入りと無しと出来るそうですが、今回頂いたのはアルコールなしで、材料は

エスプレッソ(カフェ)、トニックウォーター、砂糖、ジネプロ(ジュニパーベリー類)、ジンジャー、氷

なんととても美味しい!それに合わせたチップスにはカフェをまぶしてあり、香ばしい。

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(上写真中)カフェの樹です。白い花が咲き、赤い実が付き、その中にある種がカフェになります。

最初は緑色をしていて、とても甘いのですが、アロマは全くないそうです。

これを炒ることでアロマが生まれます。ただし230℃までの適温があります。

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1895年ラヴァッツァ氏はトリノに移り住み、最初はカフェではなく、車を改造して荷台を作り、

小麦樹、お菓子、アマレーナ、アルコールなどの商品を販売していたそうです。

ルイジ・ラヴァッツァ氏はカフェのブレンドに注目し、ブラジルに渡り勉強し、研究しながら、

沢山のブレンド・レシピを書いています。(手書きレシピが展示されています)

1955年、ラヴァッツァ・ブレンドが確立し、 “Lavazza Paradiso in tazza” (コーヒーカップの中のラヴァッツァ・パラダイス)をスローガンに成長していきます。

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イタリア人女性初の宇宙飛行士がLAVAZZA考案のカフェ・マシーンを持ち込み、宇宙でカフェを飲んだそうです。

カフェの消費量カウント:

2025年約2か月で、ラヴァッツァのカフェは52億杯消費されたという数字が展示されていました。

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(上写真右)1884年に初めてトリノ・ポルタヌオーヴァ駅に設置した、カフェマシーン。

駅で行き交う人が、手軽に直ぐに飲めるカフェとして考案した、まさに現在のカフェマシーンの前身です。

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カフェとして食するのはアラビカとロブーストの2種類で、アラビカがロブーストの3倍の収穫量と抱負です。

またアラビカ種はアロマと適度なカフェインを含むのに対して、ロブーストは苦味とカフェインが強く、それだけでは飲めず、ブレンドを必ず行うそうです。

それからアラビカ種はロブーストより大きく、割れ目が波型をしているのに対し、

ロブースト種は小粒で、割れ目が直線なんですね。

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などなど楽しい発見の時間でした!

トリノ・ラヴァッツァ博物館

MUSEO LAVAZZA TORINO

https://www.lavazza.it/it/museo-lavazza/scopri-il-museo/orari-e-tariffe

202.3.5  Kyoko M




2025年3月 4日 (火)

2025年3月2日(日)イブレアのカーニバルにやってきました!

イブレアはトリノの北側にあり、トリノのポルタヌオーヴァ駅から電車で1時間と便利な場所です。

このオレンジが敷き詰められた写真は戦いの後です。街中を挙げてのイベントには深い歴史と逸話がありますのでご紹介します。

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今回はスクオーラ・レオナルド・ダヴィンチ・トリノ校のアクティヴィに参加させて頂いたので、

ガイドがついて詳しく案内してくれました。

引率のアンドレア先生も熱心で責任感があり、常に迷子にならないよう確認しながら、安全にトリノ駅まで付き添って下さり、初めての生徒も安心して参加されてました。

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では戦いの様子はこちらのミニビデをでご覧ください。ネット外離れて撮影したのですが、オレンジが足に当たり、結構痛くて、ビデオの最後は足元を映してしまいました。


YouTube: イブレアのカーニバル2025 Il carnevale d'IVREA (トリノ、ピエモンテ)オレンジの投げ合戦!


YouTube: イブレアのカーニバル2025  Il carnevale d'IVREA (トリノ、ピエモンテ)オレンジの投げ合戦!パートⅡ

かなりオレンジは痛いそうで、目と鼻に当たると大惨事になるので、ネットの近くに行ったら腕で顔を隠すように!と注意されました。

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オレンジは食べてみるととても甘くておいしかったです。このカーニバル用に栽培しているそうです。

さて、いくつのオレンジが届くでしょうか?

9,000トンだそうです!

足元はオレンジと馬糞でドロドロですが、オレンジの香りが広がっていました。これらの廃棄処理は

バイオマスエネルギーに使用されたり、皮部分は製紙材料にしたりするそうです。

オレンジの籠は木製で、祭り後燃やすそうです。

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今回のガイドのパオラさんの息子さん、フランチェスコ君は今年初めてARANCERI(アランチェーリ)、つまり戦士に登録されたそうです。お母さんのガイドに負けを取らず説明してくれました。

9チームあり、10000人のAranceriが登録されているそうです。

彼がつけているスカーフは今年のデザインで、彼らのチーム【 I Diavoli】が勝った 13回分の年の紋章(stemma)がデザインされています。

写真の赤い帽子(Beretto frigio rosso)は伝統的なスタイルで本来は銀星のピッケル(祭りのシンボル)で留めます。この赤い帽子の意味は、イヴレアの庶民の自由を訴えるシンボルであり、ジョヴェディ・グラッソ(Giovedi’ Grasso)つまりカーニバルの始まりの日にイブレア庶民側の将軍が、赤い帽子を着けるよう指示し、着けないものは敵とみなしてオレンジを投げられると。

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カーニバルはイヴレアの庶民の祭りです。ですからオレンジの投げ合いがあっても決して喧嘩はしません。

チームリーダーがピアッツァ(広場、戦場)入ると刀をかざして『マスクを着けよ』と指示し、

戦いが終わるとマスクを外す指示があり、握手するそうです。

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このカーニバルの主人公は『ムニャイア Mugnaia 』と言えます。

ヴィオレッタの伝説があります:貴族のマルケーゼ(侯爵)がイブレアを占拠していた時に、花嫁となる娘を差し出すよう要求しました。そこでこのドーラ川にある粉ひきを営む家がありその娘ヴィオレッタが差し出されることになります。その夜、ヴィオレッタは白い花嫁のドレスを着て現れ、不意をついてマルケーゼの首を討ったのです。

その日を境にイブレアの庶民は自由を獲得し、これを忘れないためにカーニバルは行われてきたそうです。

『ムニャイア 』は実は美しいだけではなく、出資が必要です。つまりカーニバルにかかる費用すべて、約600万円ほどと言われます。9

今年のムニャイアの発表がカーニバル当日の特別な新聞で発表されます。

 
https://youtube.com/shorts/OhNdQcAGKEo
 
 
イブレアの郷土食といえば、この『ミアッセ Miasse』です。
トウモロコシ粉(MAIS)を鍋でお湯に混ぜたものを、鉄板の上にのせて薄ーく、パリパリに焼きます。Salignùnと呼ばれるフレッシュチーズまたはリコッタにスパイスを加えたものを挟むのが定番で、サラミなどを加えるなどバリエーションがいろいろあります。
生地が香ばしく、チーズのフレッシュさとよく合います!
 
ドルチェは TORTA 900(トルタ・ノヴェチェント)と呼ばれるチョコレート生地のケーキが有名です。

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イブレアで有名なのはタイプライターのOLIVETTI (オリヴェッティ)社です。(写真左側)

1960年2月28日のカーニバルのその日、エンジニアのアドリアーノ・オリヴェッティ氏はスイスに向かう電車に乗っていて事故で亡くなります。そのニュースが入った瞬間、カーニバルは中止され、皆家に帰ったそうです。

オリヴェッティ社とイブレアとのつながりはとても深く、この町に経済をもたらしただけでなく、従業員たちの生活を豊かにしたことで庶民から尊敬されていたそうです。例えば労働時間の削減を図ったり、休憩中に使用できるスポーツ施設を作ったり、図書館、森林公園にピクニックできるようなテーブルやベンチも備え、従業員の家族の生活も考慮したのです。

2025.3.2   Kyoko M  Il Carnevale d'Ivrea

2025年2月27日 (木)

イタリアのアールヌーヴォー建築『Liberty リベルティ』様式はトリノが最も多いそうです。
アパートから近いところを散策してきました。トリノのポルタ・スーザ駅から直ぐのCorso Franciaの通りに3つあります。
トリノで最も有名でトリノのリベルティ(リバティ)建築を豊かにした館はカーザ・フェノリオ‐ラ・フルールです。
① Casa Fenoglio - La Fleur  『カーザ・フェノリオ‐ラ・フルール』

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場所:Via Principi d'Acaja, 11 Torino 
建築家:Pietro Fenoglio ピエトロ・フェノリオ
1902年にエンジニアであったフェノリオ氏は自宅として設計し、
後にラフルールというフランス人実業家に売り渡します。
1990年代に個人資産家が購入し修復され、現在は事務所は住宅として使用されています。


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1902年は近代装飾アートの国際博があった年で、アールヌーヴォーが最も注目された時でした。
フェノリオは当時フランスで流行の『casa-studio』(家とスタジオ)をコンセプトに伝統的に構造を残しつつ、装飾は華やかな設計。
BOVINDO= Bow-Window(弓窓、湾曲した出窓)は大きな色付きの窓に曲線のカットがエレガントなラインを強調しています。
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②Palazzo della Vittoria – Casa dei Draghi

 『パラッツォ・デッラ・ヴィットリア (ドラゴンの家)』Image_67530753_2

場所:Corso Francia, 23 – 10138 Torino
エンジニア:Gottardo Gussoni


1800年代から1900年代に流行ったフランスのネオゴシックとリベルティ様式が見られます。

1922年、騎士ラヴォーロ・ジョヴァンバッティスタ・カレラが第一次世界大戦の勝利を祝うために建てたそうです。
よって、勝利の家(Casa di Vittoria)と名付けたのですね。

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玄関のドア、ギザギザカットの塔、バルコニーの欄干は、フランスのネオゴシック様式が強いですが、
窓や建物の曲がりくねったラインなどの細部は、当時のアールヌーボーを思わせます。

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大きな玄関ドアの側面に2頭のドラゴンは、世界大戦後のイタリアの権力と重要性を寓意していると
言われています。ドラゴンはあちらこちらに見られます。
ドアの上にはカレラ家の紋章があり、建物全体と同様に他の動物の形や寓意的なディテールが満載です。

 


③Villino Raby ヴィッリーノ・ラヴィ(小さな館ラヴィ)

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場所:Corso Francia, 6, 10143 Torino

Architetto Gottardo Gussoni
Ingegnere Pietro Fenoglio

1901年、 Michele Raby の自宅としてフェノリオが設計する。
1980 年代には私立学校となり、2004 年に外科医・歯科医騎士団 (OMCeO) によって
購入され、改修が行われました。


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門の鉄製の装飾、Bovindo(弓窓、湾曲した出窓)など、ベルギーとフランスのリベルティ様式の見本となるよう造られたそうです。しかし建築家グッソーニの影響を受け、ネオバロックが見られます、これはカーザ・ラフルールと大きく異なります。




2025.2.26  TORINO 

KYOKO M 

 


 

2024年11月 4日 (月)
2023年12月 5日 (火)

日程は2024年5月24日(金)~6月1日(土)の間で現地8泊9日

≪10名様限定≫    参加費用 350,000円(税込) 

テーマは 『未だ知られていないプーリアの魅力を探ろう』

★旅のポイント

◎食の宝庫:港で頂く魚貝料理とワイン!ブッラータチーズ、パスティチョット、アルタムーラのパーネ、樹齢100年以上のオリーブの木、プーリアの搾油場の歴史。

◎建築:トゥルッリ、マッセリア(旧農家)、洞窟住居(マテーラ)、レッチェのバロック建築、真白な迷路の町オストゥーニ、ロコロトンド。

◎『PIZZICA』世界的に知られるプーリアの民族舞踊!

◎伝統工芸:Carta pesta イタリアのカーニバル伝統技術

◎オレキエッテの パスタ作りに本場で挑戦。 

◎温泉テルメ:幻想的な世界が広がるマテーラ:実はバジリカータ州に寄り道し、洞窟温泉でゆったりくつろぐ。

◎ブドウ畑とワイナリー訪問:プーリアワインの発展歴史を知る。

◎歌手Domenico Modugnoの故郷Polignano a Mare:『ヴォラーレNel blu dipinto di blu』1958年サンレモ音楽祭で歌った。崖の上の絶景レストランへ。 アドリア海クルージング。

◎陶器の町ーGraottaglieへ

Kyoko先生と一緒に行く唯一無二の旅。 

※料金にはチャーターバスでの移動、滞在、朝食、通訳は含まれます。お食事、入館料など一部含まれます。


 ≪旅程(予定)≫  *プログラムの変更はご了承ください。(写真はイメージです)

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【1日目】ブリンディジ空港集合(23:00)~レッチェ・チェントロへ。≪レッチェ2泊 アパートメント滞在≫

【2日目】電車で行ってみよう、ガラティーナへ⇒伝統菓子老舗パスティチェリア、ガラティーナの至宝『サンタ・カテリーナ・ディ・アレサンドリア聖堂』のフレスコ画 
⇒ガイド付き:レッチェ旧市街散策-
Duomo大聖堂、Santa croce教会、Carta Pestaの工房など ⇒自由行動

【3日目】古城のワイナリー(Castello Monaci) お城でワインテイスティング。
⇒Otranto(サレント半島港町)ガイド付き訪問、可愛い小物のお店が並ぶ(自由行動)

Supersano 2泊 大自然に囲まれたマッセリア(4つ星アグリツーリズモ)に滞在

★伝統舞踊Pizzicaを踊りましょう!(滞在先でゆっくり夕食まで)
★パスタ『オレキエッテ』を作りましょう! 

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【4日目】「イオニア海の真珠」Gallipoli旧市街散策、港の魚市場でワインと魚貝を頂きます!

⇒世界に知られるMaglio(チョコレート工房)

⇒夕食は元オリーブ搾油農場(ipogeo)の見学、全オーガニックレストラン(地元で人気!)

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【5日目】プーリアTOPと言われるワイン生産者『Gianfranco Fino』訪問!

⇒陶器の町Glottaglie(お買物)
⇒≪ロコロトンド4泊 1700年代マッセリアの12代目が運営するトゥルッリのアグリトゥーリズモ≫  

⇒Locorotondo チェントロ散策ー夕食(自由行動)

【6日目】Altamura (パン工房でランチ)
⇒お隣のバジリカータ州へ:幻想的マテーラ洞窟住居をガイド付き散策、洞窟テルメ、夜景を見ながら夕食。

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【7日目】オストゥーニへ 樹齢100年以上のオリーブ農場でオイルテイスティング!、真白な迷路の町散策(自由行動)

⇒Polignano a mareポリニャーノ・アマーレでクルージング、海を眺める絶景レストランで食事

 【8日目】チーズ工房(ブッラータ、モッツァレッラなど見学と試食) 
⇒哲学的なワイナリー Amastuola 訪問(畑も醸造所も自然を活かした哲学的設計、クオリティと共に必見)
⇒Ceglie Messapicaの人気レストランで晩餐

下の写真はゆっくり4泊するマッセリア、広大な敷地にあるトゥルッリに泊まります。

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【9日目】Bari市内ガイド付き散策(マンマが家の軒先でパスタを作る下町など)、自由行動

⇒13:00 バーリ空港へ

※お勧めフライトプラン (お帰りはローマで1泊トランジットして月曜に日本着。)

( 往路)05/24 (⾦) 12:40-20:25 AZ793 羽田空港⇒ローマ空港

          05/24 (⾦) 21:40-22:50   AZ1625   ローマ空港⇒ブリンディジ空港

(復路) 06/01 (⼟) 15:20⇒16:25  AZ1616 バーリ⇒ローマ 

   06/02 (日) 15:10 ー 06/03 (⽇) 10:40 AZ792 ローマ⇒羽田空港


★ご興味ある方は料金詳細をご案内致しますのでご連絡ください。

お申込締切 2024年2月15日 ※人数集まり次第〆切

LCI イタリアxカルチャースタジオ

Email: info@lci-italia.com 

 

2023年7月11日 (火)

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La Maliosa(ラ・マリオーザ)はトスカーナ地方南部、マレンマ内陸の丘陵地帯にある有機農園です。

近くにはサトゥルニアの天然温泉や、エトルリア人の街ピティリアーノなど、歴史が止まったような場所がいくつもあります。

広さ160ヘクタールという広大な土地の中に、穀物やオリーブ、ブドウ、ハチミツなどの農園を造り、更にロバを放牧しています。 こうすることで、近隣で巻かれた農薬や、トラクターの排気ガスから影響を受けない環境を作っています。

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2010年にはビオとビオディナミの認証を取得したそうですが、基本的には本来あるべき姿の自然環境を実現し、持続可能な農法でオリーブオイルやワインを生産しているのです。

そこには熱意以外のなにものでもない、Antonella Manuli女史の信念を感じます。

そのプロジェクトの発端はLorenzo Corino博士であり、彼の説く『生物の多様性(Diversita')、長期的視点、持続可能(Sostenibilita')、環境、土壌、人々の健康(Salubrita')』といった考えを【Metodo Corino】として確立し、世界に広める活動を行っています。

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畑は6ヘクタールと小規模です。表土の硬化を抑え、有機物や微生物を利用することで土を守っています。

古くから栽培されてきた品種、チリエジョーロ、サンジョベーゼ、アリカンテ、白はプロカニコやアンソニカ、グレケットを栽培しています。

農園内にはツルを伸ばす野生ブドウも存在するそうで、いかに自然体な場所か分かります。

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ビオディナミ農法を取り入れているといっても、プレパラートの動物性の物、角などは使用しないという徹底ぶりで、カテリーナさん他若い人たちのチームで力を合わせて運営しており、私達など訪問者へのサービスも素晴らしく、彼らの想いが伝わってきました。

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ASINO(ろば)は、とても人懐っこく、愛らしかったですが、運搬など畑仕事を手伝っているそうです。

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StarBox:広大な土地にいくつかの丘があり、そこにスターボックスと呼ばれる小屋があります。

中にはベッドがあり、屋根がオープンしますので、静寂の中で夜空の星を眺めながら過ごせます。

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カンティーナはとても小さいもので、ラベルを1枚づつ手で貼っているところを披露頂きました。

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VINI NATURALI(自然ワイン)といっても美味しくなくてはダメです。

畑からカンティーナまで訪問すると、他の植物や生物との共存で豊かに育ったブドウから造られたワインであるかを実感し、

アルコールとはいえ、体に良い気分になってしまうエシカルなワインを体験しました。

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実はラ・マリオーザのオリーブオイルは、既に定評があり、品質の高さは有名ですが、

自家製パンとテイスティングで実感です。

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午後は気持ちのよい天気に恵まれ、外でピクニック。

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夜はLa Maliosaが運営するワインバーがサトゥルニアのチェントロ、ピアッツァにあります。

 Piazza Vittorio Veneto, 29, 58014 Saturnia GR

インテリアだけでなく、食材にもこだわっていて、郷土料理のパスタPICIやイノシシのラグーソースにも大満足。La Maliosaのワインと合わせます。

Antonellaさんを囲んで、故人Lorenzo博士を偲びながら、私個人的にも有意義な時間に感謝です。

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Cameriere君はとても爽やかイケメン。サービスも手際も素晴らしかったです。

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近くには、La Maliosaが所有する5人位泊まれる素敵なアパートもあります。

モスグリーンと白をベースにした優しい、お洒落なデザインは、旦那様がなさったそうです。

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サトゥルニアのテルメ Cascate del mulino di saturnia

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今年は雨が多く、到着する2-3日前まで大雨で、実は、ブドウやオリーブにも雹の被害があったそうで、今年の収穫は心配です。

人工的な介入はしないラ・マリオーザは本当に厳しい状況と思いますが、信念の強さに励まされる思いです。

2023年5月 LCIイタリアカルチャースタジオ Kyoko Matsuyama 旅の記録