2025年3月 4日 (火)

イブレアのカルネヴァーレ Il Carnevale d'Ivrea

2025年3月2日(日)イブレアのカーニバルにやってきました!

イブレアはトリノの北側にあり、トリノのポルタヌオーヴァ駅から電車で1時間と便利な場所です。

このオレンジが敷き詰められた写真は戦いの後です。街中を挙げてのイベントには深い歴史と逸話がありますのでご紹介します。

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今回はスクオーラ・レオナルド・ダヴィンチ・トリノ校のアクティヴィに参加させて頂いたので、

ガイドがついて詳しく案内してくれました。

引率のアンドレア先生も熱心で責任感があり、常に迷子にならないよう確認しながら、安全にトリノ駅まで付き添って下さり、初めての生徒も安心して参加されてました。

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では戦いの様子はこちらのミニビデをでご覧ください。ネット外離れて撮影したのですが、オレンジが足に当たり、結構痛くて、ビデオの最後は足元を映してしまいました。


YouTube: イブレアのカーニバル2025 Il carnevale d'IVREA (トリノ、ピエモンテ)オレンジの投げ合戦!


YouTube: イブレアのカーニバル2025  Il carnevale d'IVREA (トリノ、ピエモンテ)オレンジの投げ合戦!パートⅡ

かなりオレンジは痛いそうで、目と鼻に当たると大惨事になるので、ネットの近くに行ったら腕で顔を隠すように!と注意されました。

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オレンジは食べてみるととても甘くておいしかったです。このカーニバル用に栽培しているそうです。

さて、いくつのオレンジが届くでしょうか?

9,000トンだそうです!

足元はオレンジと馬糞でドロドロですが、オレンジの香りが広がっていました。これらの廃棄処理は

バイオマスエネルギーに使用されたり、皮部分は製紙材料にしたりするそうです。

オレンジの籠は木製で、祭り後燃やすそうです。

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今回のガイドのパオラさんの息子さん、フランチェスコ君は今年初めてARANCERI(アランチェーリ)、つまり戦士に登録されたそうです。お母さんのガイドに負けを取らず説明してくれました。

9チームあり、10000人のAranceriが登録されているそうです。

彼がつけているスカーフは今年のデザインで、彼らのチーム【 I Diavoli】が勝った 13回分の年の紋章(stemma)がデザインされています。

写真の赤い帽子(Beretto frigio rosso)は伝統的なスタイルで本来は銀星のピッケル(祭りのシンボル)で留めます。この赤い帽子の意味は、イヴレアの庶民の自由を訴えるシンボルであり、ジョヴェディ・グラッソ(Giovedi’ Grasso)つまりカーニバルの始まりの日にイブレア庶民側の将軍が、赤い帽子を着けるよう指示し、着けないものは敵とみなしてオレンジを投げられると。

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カーニバルはイヴレアの庶民の祭りです。ですからオレンジの投げ合いがあっても決して喧嘩はしません。

チームリーダーがピアッツァ(広場、戦場)入ると刀をかざして『マスクを着けよ』と指示し、

戦いが終わるとマスクを外す指示があり、握手するそうです。

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このカーニバルの主人公は『ムニャイア Mugnaia 』と言えます。

ヴィオレッタの伝説があります:貴族のマルケーゼ(侯爵)がイブレアを占拠していた時に、花嫁となる娘を差し出すよう要求しました。そこでこのドーラ川にある粉ひきを営む家がありその娘ヴィオレッタが差し出されることになります。その夜、ヴィオレッタは白い花嫁のドレスを着て現れ、不意をついてマルケーゼの首を討ったのです。

その日を境にイブレアの庶民は自由を獲得し、これを忘れないためにカーニバルは行われてきたそうです。

『ムニャイア 』は実は美しいだけではなく、出資が必要です。つまりカーニバルにかかる費用すべて、約600万円ほどと言われます。9

今年のムニャイアの発表がカーニバル当日の特別な新聞で発表されます。

 
https://youtube.com/shorts/OhNdQcAGKEo
 
 
イブレアの郷土食といえば、この『ミアッセ Miasse』です。
トウモロコシ粉(MAIS)を鍋でお湯に混ぜたものを、鉄板の上にのせて薄ーく、パリパリに焼きます。Salignùnと呼ばれるフレッシュチーズまたはリコッタにスパイスを加えたものを挟むのが定番で、サラミなどを加えるなどバリエーションがいろいろあります。
生地が香ばしく、チーズのフレッシュさとよく合います!
 
ドルチェは TORTA 900(トルタ・ノヴェチェント)と呼ばれるチョコレート生地のケーキが有名です。

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イブレアで有名なのはタイプライターのOLIVETTI (オリヴェッティ)社です。(写真左側)

1960年2月28日のカーニバルのその日、エンジニアのアドリアーノ・オリヴェッティ氏はスイスに向かう電車に乗っていて事故で亡くなります。そのニュースが入った瞬間、カーニバルは中止され、皆家に帰ったそうです。

オリヴェッティ社とイブレアとのつながりはとても深く、この町に経済をもたらしただけでなく、従業員たちの生活を豊かにしたことで庶民から尊敬されていたそうです。例えば労働時間の削減を図ったり、休憩中に使用できるスポーツ施設を作ったり、図書館、森林公園にピクニックできるようなテーブルやベンチも備え、従業員の家族の生活も考慮したのです。

2025.3.2   Kyoko M  Il Carnevale d'Ivrea